最近の注目情報詳細(2015年7月)
1.橋下徹君へ「なぜ君は敗北したか教えよう」 <大前研一の日本のカラクリ>
(2015年7月13日号 PRESIDENT)
○中央集権を打破する改革者だと大いに期待した
政令指定都市の大阪市を廃止して5つの特別区に分割する「大阪都構想」の賛否を問う住民投票が5月17日に行われた。結果は反対70万5585に対して賛成69万4844。僅差(約1万票差)で反対が上回って、大阪市の存続が決まった。橋下徹市長が府知事時代から提唱し、自ら市長に転じてまで地均しをしてきた大阪都構想。地元からNOを突き付けられた投票結果を橋下市長は「負けは負け。説明しきれなかった自分自身の力不足」と総括、かねてから公言していた通り、任期終了後の政界引退を表明した。
3年前にプレジデント誌で対談したことがあるが、「日本の中央集権体制を変えるには統治機構を改革するしかない。まず大阪の統治機構から変えたい」と熱っぽく語る橋下市長に私は賛同し、期待していた。学生時代から私の本を相当に読み込んでいたようで、私が提言してきた「道州制」や「平成維新」に対する理解も深かった。大阪維新の会を立ち上げるときに、「『維新』を使わせてください」と仁義を切られて、元祖維新屋としては喜んで快諾した。
日本の活力を奪っている諸悪の根源は中央集権であり、これを打破するには統治システムの変革、すなわち道州制への移行が不可欠、というのが道州制論者である私の基本的な考え方だ。しかし、日本の中央集権は堅牢でなまなかでは突き崩せない。そこで橋下市長のような戦国大名が地方から中央に刃を突き付けて緊張感を与えて、変革を促していく。大阪都を筆頭にそれぞれに力を蓄えた“変人首長”率いる地方が連携して中央に変革を迫れば、大政奉還のような形で道州制や連邦制へ移行するチャンスがやってくるのではないか。かつて月刊誌『文藝春秋』で「新薩長連合」を唱えて何人かの首長と連携して自ら東京都知事選に打って出て(青島幸男氏に)惨敗した私は、橋下市長こそがその志を実現してくれる人物だ、と応援してきた。
「大阪都構想をピカピカに磨き上げることが何より大切」と私は再三アドバイスしてきたつもりだ。にもかかわらず、維新人気の高揚感もあったのだろう、橋下市長は石原慎太郎氏と組んで上洛、国政に歩を進めてしまった。
2011年の大阪府知事選と大阪市長選のダブル選挙では松井一郎府知事と橋下市長が当選して、大阪維新の会が圧勝。府市一体で大阪都構想を推進することを有権者が支持したわけで、このときに都構想を一気に加速して住民投票に持ち込んでいれば、結果は違ったと思う。「あいつが江戸に攻め上がってきたら大変だ」という緊張感が橋下市長の影響力の源だった。地元で圧倒的な支持を集める地域政党、大阪維新の会の総大将の立場で、あくまで大阪の改革を中央が邪魔している部分を攻撃し、永田町や霞が関に手直しを迫る、というポジショニングが絶妙だったのだ。
しかし理念も政策も異なる政党と合併して中途半端な全国政党になったことで、潮目は変わる。共同代表の橋下市長は大阪都構想だけに注力できなくなり、国政を意識した言動がやたらと増えた。行き着いた先が従軍慰安婦問題をめぐる一連の騒動である。
彼がやりたい大阪都構想と従軍慰安婦問題は何の関係もない。ところがOB杭の外(ゴルフコース外)でクラブを振り回すような無用な発言をして、国内外から強烈なバッシングを受けてしまう。私自身は国政に進出した時点で見限ったのだが、この場外乱闘で墓穴を掘って、橋下市長は急速に求心力を低下させた。
大阪市の住民投票における橋下市長の敗因は何だったのか。一つ大きかったのは堺市に逃げられたことだ。10年に大阪維新の会が示した構想は、大阪市と堺市、2つの政令指定都市を廃止・再編、大阪都下に20の特別区を設置するというものだった。
しかし大阪都構想の是非が争点になった13年9月の堺市長選は、反対派の現職市長の圧勝に終わる。市民にNOを突き付けられて堺市を都構想に取り込めなくなったのは大打撃だった。大阪市と堺市が一緒になって都構想の中核を担えば、2つの政令指定都市が合併するようなものだから、これは強い。規模の経済が働くから、広域行政のあらゆる面でメリットが出てくる。
これが大阪市だけとなると大幅なスケールダウンで、5つの特別区に分割して大阪市をなくすといっても、大阪市と同じ機能を5つの特別区が担うのだからメリットは出てこない。「不幸せ(府市合わせ)な2重行政をなくす」は大阪都構想のアピールポイントだが、市が特別区に替わっただけでは2重行政は何も解消されない。2重行政をなくそうとするなら大阪市のままでも十分に可能で、この点では反対派の主張のほうが正しい。たとえば東京都は区ごとにやっていたゴミ収集を都に一本化した。そうしたことはいくらでも現状でできる。堺市を引き込めなかったことで、大阪市民だけにYES/NOを問う、つまり大阪市民にとっての近視眼的なメリットデメリットが争点になり、内向きの住民投票になってしまった。
○カナダのGDPに匹敵する関西圏の経済力
もともと大阪都構想は、大阪市だけに限った統治機構改革ではない。堺市など周辺自治体に枠組みを広げ、さらには「関西道」のような広域行政区域を遠く見据えて構想されている。つまり最終目標は道州制なのだ。兵庫、大阪、京都、奈良、和歌山を一体とした関西広域連合「関西道」の必要性を私は20年以上前から説いてきた。これは関西経済連合会や松下幸之助翁が唱えていた「関西府県連合」とも軌を一にする関西の悲願でもある。GDP規模でいえば、関西道はカナダに匹敵して、立派に一国を張れる経済力であり、G7にも参加できる規模である。
歴史的な観光資源は他の追随を許さないし、神戸や京都には世界的な企業が多い。アカデミズムや文化の発信地としては大阪、京都、奈良にまたがる京阪奈丘陵には関西文化学術研究都市(学研都市)もある。大阪・梅田界隈はニューヨークやシカゴ、ロンドンと並ぶ世界有数の商業集積地で、富裕層の財布の大きさはアジアトップクラスだ。縦断して4時間、横切って1時間半程度のコンパクトなエリアに、カナダと同程度の経済力が充填され、要衝がバランスよく配置されている。いまは東京一極集中の陰に隠れているが、関西圏というのは世界的にも非常にポテンシャルが高い魅力溢れる地域なのだ。
そこに道州制を持ち込んで広域行政区域とし、国から三権(立法、行政、司法)を分捕ってくるのが私の関西道構想であり、道州制論者である橋下市長もそのことはよくわかっていた。
従軍慰安婦などの議論で場外乱闘する橋下氏に「旗がどこにあるか見えているのか?」とメールしたときに「憲法第8章、95条です」と即答してきた。つまりマスコミに翻弄されながらも地方自治を是正していく、という彼の初志、本丸の姿、は見失っていなかった、ということだ。しかし、そうした大きなビジョン、要するに今回の選挙の直接対象となった大阪都構想の外側に何があるかということを、橋下市長は住民投票期間中に示せなかった。あるいは堺市に逃げられて、示したくても示せなかったのかもしれない。争点となった大阪都の次に何が続いているのかの長期的ビジョンを語らなかったことが最大の敗因だった。
「我々の最終目標は道州制の実現であり、オール関西の広域連合をつくりあげることです。関西が一つになれば経済規模はカナダに匹敵するし、世が世ならG7にだって参加できる。その夢のファーストステップが今回の大阪都構想なのです。私の不徳の致すところで、堺市は不参加になりましたが、この大阪の地で都構想を先行させたい。その素晴らしさを皆さんに示すことができたなら、いずれ堺の人たちも『一緒にやろう』と言ってくれるでしょう。関西の大発展に向けた大事な第一歩をここから踏み出しましょう」
こうしたアピールをしていれば、住民投票の1万票差から判断しても圧勝していたに違いない。「負けは負け」ではなかった、というのが私の判断である。
○橋下氏には、EQが決定的に足りなかった
橋下維新の失敗という観点からいえば、当人の人間性の問題を指摘せざるをえない。
石原慎太郎氏は都知事時代に、「都は一つでいい」と大阪都構想にケチをつけたことがある。そもそも明治天皇は京都の名前を残したくて、東の京都、「東京都」と命名したのである。都の本家はあくまで京都なのだ。カチンときた私は橋下市長に「大阪と京都は合併して、『京都』もしくは『本京都』と名乗ればいい」と冗談半分に言ったのだが、返ってきた言葉が橋下市長らしかった。「僕、京都(の知事? 市長?)は嫌いなんです」。好き嫌い、敵味方で人を分ける。だから無駄に敵をつくってしまう。弁護士という職業柄もあるのだろう。
人をその気にさせて集団を動かすリーダーシップはIQではなくEQ(心の知能指数)が問われる。好きも嫌いも、味方も敵も全部巻き込んで、包んでしまうような人間力といってもいい。しかし弁護士などの士ビジネスの人種は、組織を動かした経験が少ないから、その手のリーダーシップに難点があることが少なくない。
「言うことを聞かないと対抗馬を立てるぞ」というやり方が人を従わせるときの常套手段。橋下人気が高いときは「次の選挙で睨まれたら怖い」と大勢ついてきたが、いったん下り坂になると橋下離れが加速する。脅して付き従わせてきたから、「この人についていこう」という気にならないのだ。「橋下維新の余命は長くない」と見切られてからは、維新傘下の市議会議員までサボタージュに回って、橋下市長が大いに進めていた市バスや地下鉄の黒字化・民営化策なども動かなくなってしまった。
○売られた喧嘩は全部買う、相手を言い負かす
論争に勝たないと気が済まない性格も災いした。弁護士は法廷論争で負けたらお金にならないが、一般社会では白黒つけなくてもいいことがいくらでもある。
従軍慰安婦問題で炎上しはじめたとき、「やめておけ。道州制とこの議論はまったく関係ない。大阪市長の立場とも関係ない」と諭したのだが、「いや、もうちょっと説明すればわかる話だから」と聞かない。結局、説明すればするほど深みにはまっていった。
売られた喧嘩は全部買うし、相手を言い負かしたがる。職業病なのだ。そのことに途中で気づいて、「この人はリーダーにはなれない」と思った。
大きな流れの中で自分がやりたいのか。そのために目の前の戦いをどうやって展開していくか。不必要な戦いはどうやって関与を避けるか、という戦略の基本がまったくわかっていない。目的達成のためには無駄な戦いで消耗しないことが大事なのだ。しかし、橋下市長は目の前の戦いに全部勝とうとする。今回も大阪都を批判する京都大学の教授とネット上で大乱闘をやっていたが、議論を見る限り一般大衆にとってはどちらでもいい水掛け論であった。こうしたことに精力を使い果たすのが彼のかなり深刻な限界だ。
個人の能力は素晴らしい。頭の回転は速いし、議論は緻密。マスコミに対する発信力も抜群。彼とメールのやり取りをしていると、朝の4時とか5時とか、とんでもない時間に巻物のような長さのメールを寄越してくる。しかも誤字脱字がほとんどない。本当に政治家にはもったいないぐらいの能力だ。こちらから送った長い論文も数日のうちに読破し的確なコメントを返してくる。全国政党「維新の会」の共同代表になる前、すなわち府知事や市長職に集中していた頃の業務処理能力はまさに圧巻であった。
市長の任期終了後に政界引退するそうだが、彼の性格からすれば本当に辞めるだろう。自分の政治の原点は道州制であり、それが否定された以上は政治家を続ける意味がないというわけだが、それは錯覚だ。今回の住民投票で問われたのは道州制の是非ではないのだから。
政治を離れたら、もっと人間力を磨いてほしい。市長を辞めても注目度は高いだろうが、ちやほやされているうちはなかなか変われない。
○10年後に、55歳の橋下氏が戻ってくる?
大阪の住民投票の結果については、私は素晴らしいと思っている。行政区を変えるという維新の提案そのものはチンケで、効果もほとんど期待できない。それでもあれだけの僅差になった。大阪市の現状に不満を持っている人、大阪市の将来を不安に思っている人がそれだけいるということだ。やり方次第で大阪都構想、その先に道州制に向かって前進できそうな感触を得た。
大きな流れで見れば、現状の統治機構で細切れ行政を続けていけば、日本が衰退するのは間違いない。関西道のような広域行政単位をつくって、それぞれが経済政策を含めて自由闊達で特色ある地方自治を行わなければ、世界から日本にヒト、モノ、カネは集まってこない。道州とは世界から富と繁栄を呼び込むための単位なのだ。
スコットランドの住民投票では独立派が敗れたものの、その後のイギリス総選挙ではスコットランド独立党が第三党に躍進した。大事なのは今回の大阪の住民投票で出てきた芽を絶やさないこと。
おぞましいほどの中央集権を破壊して、地方のエネルギーを解放しなければ日本は変わらない。関西圏は、そして人間味・EQを加味して10年後に戻ってきた55歳の橋下徹氏は、依然としてその先駆になりうるのだ。
2.特別自治市の実現訴え 指定都市市長会、総務相に
(2015年7月14日 神戸新聞)
指定都市市長会(会長・林文子横浜市長)と高市早苗総務相との懇談会が13日、東京都内で開かれ、久元喜造神戸市長らは多様な大都市制度実現やマイナンバー制度に関わる個人情報保護対策の徹底を要望した。
神戸や名古屋、岡山など20市の市長らが参加。京都市の門川大作市長が2040年までに、指定都市20市の生産年齢人口が大幅に減る一方、社会保障費は約2・4倍に増えるとの試算を示した。「全国で最も高齢化が進み、財政負担が増える。道府県から権限と税財源の委譲を進め、『特別自治市』などの実現が必要」と訴えた。
また、堺市の竹山修身市長は「道州制の議論が最近下火だが、私たちは関西広域連合をつくっており、やる気のあるところには権限委譲を認めてほしい」と主張した。
高市氏は「国の出先機関移転は、本年度かなり進める。地方の積極的な提案を待っている」と話した。
(小西博美)
◆大都市制度
都市部の地方自治体に適用される自治制度。東京に23の特別区を置く都区制度のほか、政令指定都市(全国20市、人口要件50万人以上)、中核市(45市、20万人以上)がある。規模に応じて道路管理や福祉などの分野で一般市より大きな権限が与えられる。中核市の要件が4月、30万人以上から緩和されたのに伴い、それまで20万人以上の市を対象に指定していた特例市は、違いが小さくなったとして廃止された。