最近の注目情報詳細2019年1〜2月)

 

 

1.日本経済が平成の「失われた30年」を取り戻す方法

2019年1月31日 NEWS ポストセブン)

 あとわずかで終わりを告げる平成という時代は、日本経済にとって「失われた30年」だった。世界の企業時価総額ランキングをみると、平成元年3月時点で上位10社中8社が日本企業だったが、平成309月時点では10社中8社がアメリカ企業で、残り2社は中国企業。株価指数は30年でアメリカダウ平均が9倍、日経平均は半分に。他にの経済指標でも、日本が一人負けしている。経営コンサルタントの大前研一氏が、失われた30年を取り戻す方法について考察する。

 

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 日本は政治も経済も停滞し、世界の潮流から取り残されてしまった。そういう現実とは裏腹に内閣府は、平成2412月から始まった景気拡大局面が平成299月まで58か月続き、高度成長期の「いざなぎ景気」(昭和4011月からの57か月)を超えて戦後2番目の長さになったと認定した。今年1月まで景気拡大が続けば、戦後最長の「いざなみ景気」(平成142月からの73か月)を抜くという。

 

 だが、これは悪い冗談だろう。日本銀行は「アベクロバズーカ」の異次元金融緩和でお札を刷りまくって金融機関から大量に国債を買い上げ、ETF(上場投資信託)も爆買いして株価を懸命に下支えしている。政府は、今年10月の消費税増税に備えて2兆円の景気対策を盛り込んだ過去最大の101兆円の当初予算案を組むなど、相変わらず財政規律を無視した無節操なバラ撒き政策を続けている。つまり、現在の景気拡大局面は政府が作り出した偽りの景況なのである。

 

 だから、大多数の国民は景気拡大の実感に乏しい。消費税増税に伴い、人々はますます財布のヒモを締めて消費が低迷するだろう。

 

 新元号を迎える日本が「失われた30年」を取り戻す唯一の方法は、教育の抜本的な改革だ。本連載で繰り返し述べてきたように、これからは21世紀の「答えがない時代」に答えを見つけてリーダーシップをふるうことができ、英語などのコミュニケーション能力もあって世界のどこでも活躍できる人材を育成しなければならないのだ。

 

 そのためには、スポーツや音楽やバレエの世界と同じような世界標準を「見える化」した教育が必要となる。それは現在の文科省教育の対極にあるものだが、このまま日本が時代遅れの教育を続けていたら、21世紀の日本人は“劣等世界市民”になってしまう。

 

 その一方で、21世紀の競争と繁栄の単位となるメガリージョンへの対応を急がねばならない。具体的には、まず衆院選の比例代表ブロックと同じような人口1000万人規模の広域単位で道州制を導入し、各道州に自治権を与える。そして、中央から分与された範囲の権限に基づいた矮小な地方創生ではなく、各道州が自分たちで発展の道筋を立て、そのために必要な人材をつくる教育ができるようにすべきなのだ。なぜなら、たとえばロシアとの関係が重要な北海道と、韓国や中国との関係が重要な九州では、学ぶべき言語や歴史や地理は異なるからである。

 

 こうした私の提言を理想論だと言う向きもあるだろう。だが、明治以来の中央集権のまま衰退していった平成の30年を考える時、メガリージョンの競争に勝てる人材育成の自由度と、世界から人、投資、企業、情報を呼び込む力を道州単位で持たせるようにしない限り、日本は次の30年も制度疲労した中央政府の下で衰退し続け、世界史の表舞台から静かに消えていくことになるだろう。

 

※週刊ポスト201921日号

 

 

2.自治体は広域連携推進を、経団連・中西会長

2019年2月5日 財経新聞)

 日本経済団体連合会に中西宏明会長は今月、関西会員懇談会後の記者会見で「個々の自治体が個別に情報システムを構築していくのは非効率」との考えを示し、自治体の広域連携の必要性を提起した。

 

 一方、道州制については「政治的な課題が多く、推進には色々困難を伴う」とし「市町村合併を進めたときの行政の混乱が記憶に残っていることもあり、道州制という言葉には地方・地域の抵抗感が今なおあるのでは」と語った。

 

 中西会長は、自治体の広域連携は「地域経済の活性化、行政の効率化という観点から県・市などの行政機構は矛盾を抱えており、解決すべき課題がある。広域経済圏の形成やeガバメントをはじめとする行政の効率化を進めていくことが必要だ」と述べ「個々の自治体が個別に情報システムを構築していくのは非効率であり、実質的に進めていく工夫が求められる。自治体の枠組みにとらわれず、効率的な行政サービスや効果的な経済施策を推進していくことが重要だ」と広域連携を進めるよう提起した。

(編集担当:森高龍二)

 

 

3.作家の堺屋太一さん死去 「団塊の世代」名付け親 元経企庁長官

  (2019年2月11日 Sankeibiz)

 「団塊の世代」の名付け親であり、経済企画庁(現内閣府)長官を務めた作家で経済評論家の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日午後8時19分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。83歳。大阪市出身。葬儀・告別式は17日午後1時、東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は洋画家の妻、池口史子(いけぐち・ちかこ)さん。

 

 東大経済学部卒業後、1960年、通商産業省(現経済産業省)に入省。62年版の通商白書で「水平分業論」を展開し注目を集めた。70年開催の大阪万博の企画を担当し、沖縄開発庁(現内閣府)出向中には沖縄海洋博も手掛けた。78年退官。

 

 在職中の75年に石油危機をテーマにした「油断!」で作家デビュー。第1次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と名付けた76年の同名の小説では、この世代が社会に与える影響をいち早く予測するなど、将来を先取りする著作でベストセラー作家となった。

 

 98年7月から2000年12月まで小渕内閣と森内閣で、民間人閣僚として経済企画庁長官を務めた。安倍内閣では内閣官房参与に就任した。

 

 1985年には脱工業化社会を予言した「知価革命」も出版。歴史小説も多く「峠の群像」や「秀吉」はNHKの大河ドラマの原作になった。

 

 官僚主義の弊害を厳しく批判し、道州制など地方分権推進論者でもある。政府税制調査会や国会等移転調査会委員、阪神・淡路復興委員会委員を歴任した。

 

 当時の橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」のブレーンとして活躍し、2011年12月から大阪府市併任の特別顧問。民間の外国人雇用協議会の会長も務め、外国人労働者の雇用拡大を提言していた。

 

 

4.堺屋さんに政治家の才能見込まれた橋下徹氏は訃報沈痛

  (2019年2月10日 日刊スポーツ)

堺屋さんの悲報に橋下氏は追悼のコメントを控えた。橋下氏の関係者によると、17日に営まれる東京・青山葬儀所の葬儀・告別式に参列する。コメントを控える理由として、霊前に思いを伝えるため、あえて公表はしないという。大きな存在を失ったショックは計り知れない。

 

鋭い視点で時代を捉えた。1960年代、高度成長期の日本の雰囲気を代表するフレーズ「巨人・大鵬・卵焼き」の起源となる言葉を会見で述べ、流行語となった。当時、巨人は王、長嶋両選手を擁し、大相撲では大鵬が圧倒的な強さを誇っていた。弁当の定番は卵焼き。子どもが好きな3つと同じように、たゆまない高度成長が日本社会を歓喜させていると例えた会見だった。一方で東京への一極集中への皮肉も込めていた。

 

1次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と名付けた76年の同名の小説では、この世代が社会に与える影響をいち早く予測するなど、将来を先取りする著作でベストセラー作家となった。「峠の群像」など歴史小説も多く「秀吉」は96NHK大河ドラマの原作になり、竹中直人が主演し、高視聴率を獲得した。

 

豊かな想像力と官僚とは思えないユニークな発想で「大仕事」を成し遂げた。通商産業省(現経済産業省)の中堅官僚時代には、70年開催の大阪万博の企画を担当した。当時、無名だった故岡本太郎さんを大阪万博の展示プロデューサーに抜てき。周囲が大反対した「太陽の塔」建設のGOサインを出したのは堺屋さんだった。

 

若手芸術家だけではなく、各分野で若い才能を発掘してきた。政治では橋下氏だった。初めて会ったのは0711月。ジーパン、茶髪にサングラス姿。物おじせずに論戦を戦わす「茶髪の弁護士」に「変革」のエネルギーを感じ取った。大阪府知事、大阪市長と「政治家・橋下徹」のブレーンとしても活躍した。橋下氏が掲げた道州制など地方分権は、堺屋さんの持論だ。

 

70年万博を成功に導いた立役者は、25年大阪万博誘致でもアドバイスを送った。55年ぶり2回目の大阪万博の開催決定を見届け、天国へ旅立った。訃報に触れた大阪府の松井一郎知事は「万博を見せたかった」と話し、思いを代弁した。

【松浦隆司】