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1.「関西州」導入を提言 広域連合会合、知事らは慎重論

20181124日 京都新聞)

 関西広域連合が新たな広域行政のあり方について検討を進めている。国の権限や財源を地方に丸ごと移管する地方分権改革が遅々として進まず、広域連合の存在感が揺らぐ中、広域行政体のあるべき姿を発信する狙いがある。ただ、「道州制の導入」など抜本的な改革については慎重論も根強く、どこまで実効性がある対策を打ち出せるかは不透明だ。「地方分権の受け皿」として鳴り物入りで誕生した関西広域連合だが、存在感は乏しく正念場を迎えている。

 

 「2年後には関西広域連合発足から10年になるが、分権社会実現への突破口は十分開けていない」。21日に大阪市内であった広域連合の首長会合で、井戸敏三連合長(兵庫県知事)は危機感をにじませた。

 2010年に発足した関西広域連合は、ドクターヘリの共同運航や調理師資格試験の合同実施など広域連携事業では一定の成果を挙げた。だが、国の出先機関を原則廃止し、権限や財源を広域連合に丸ごと移管させるという「本丸」にはいまだ踏み込めていない。

 発足当初は、民主党政権が特例法案を閣議決定するなど「丸ごと移管」の実現が現実味を帯びていたが、東日本大震災の発生を契機に大規模災害に即応できる国出先機関の存続を求める声が市町村から上がった上、政権交代で民主党が下野し、機運は一気にしぼんだ。

 広域連合の存在感も薄れてきている。

 「府県の壁を越えた産業振興政策を打ち出せていない。府県の権限を持ち寄る現在の組織や仕組みでは限界がある」。21日の首長会合で、関西経済同友会地方分権改革委員会の更家悠介委員長は厳しく指摘した。

 同委員会は府県を存続させた上で業務は広域連合に移管し、「関西州」に衣替えするように求める提言を行った。都道府県を廃止・再編する道州制の議論が下火となる中、一石を投じた形だ。

 提言は、府県と広域連合の役割を段階的に見直し、再編成する内容。関西州の首長を広域連合議会議員の互選とすることや自主課税権の獲得も盛り込み、広域的な産業政策やインフラ整備などで独自の立案・実行機能を持つべきとした。

 だが、こうした提言に対する知事や市長の反応は芳しくない。広域連合は13年に道州制について議論したが、賛否が分かれ、是非には踏み込まなかったいきさつがあるためだ。

 この日、道州制導入に慎重な井戸連合長は「関西州という名称では受け入れにくい」とけん制。門川大作京都市長は「(国、関西州、府県、市町村の)4重構造となる。基礎自治体を重視して行政システムを簡素化するというテーマに応えていない」と不快感を隠さなかった。

 広域連合は昨年9月から有識者会議を13回開催し、海外の行政組織の事例などを参考にしながら、新たな体制や機能、国との協議の仕組みなどについて検討してきた。来年2月には最終報告をとりまとめる予定だが、広域連合の体制・機能を抜本的に見直したとしても、国民を巻き込んで地方分権改革の機運を高め、政府を動かさなければ分権社会の実現は画餅(がべい)に帰すだろう。

 広域連合の歳入は年間約20億円で、加盟自治体の負担金が半分超を占める。「税金の無駄遣いと言われないように、そろそろ大きな成果を出さなければならない」。広域連合議会議員を務めた経験のある京都府議はくぎを刺した。

 

 

2.大前研一"ついに失われた30年になった"

20181130日 プレジデントオンライン)

■大前研一ぐらい平成をむなしく過ごした日本人はいない

 

「平成」が幕を閉じようとしている。

私が「平成維新」を旗印に掲げて日本の改革を世に訴えたのは平成がスタートしてまもなくのことだった。理念と政策をまとめた『平成維新』という本を出版したのは平成元年(1989年)。本当は昭和のうちに書き上げていたが、「○○維新」とタイトルを空欄にしておいて、新しい年号が決まるのを待って出版した。

道州制、ゼロベースの憲法改正、移民政策、容積率の緩和など、私の政策提言のすべてはこの本から始まっている。2005年には日本人の平均年齢が50歳を超える。2005年までに改革を断行しなければ、この国は変われない国になってしまう。平成維新の必要性をそう訴えた。

あれから30年が経過した。2005年はとうに過ぎ去り、平成が終わろうとしているのに、私が平成維新から唱え続けてきた政策提言はほとんど何も実現していない。ということは、平成の30年間、私は空論を振り回していただけということになる。大前研一ぐらい平成をむなしく過ごした日本人はいないのではなかろうか。

むなしい空論になってしまった最大の理由は、選挙制度が変わったことだ。

 

■小選挙区制が導入されて日本の政治はどうなったか

 

1994年に小選挙区制が導入された。「定数2以上の中選挙区制から定数1の小選挙区制に移行して、政権交代可能な二大政党制を実現しなければならない」と著名なジャーナリストやニュースキャスターが旗振り役になり、小選挙区制に賛成すれば「改革派」で、当初から反対していた私などは「守旧派」に色分けされた。

しかし、小選挙区制が導入されて日本の政治はどうなったか――。風が吹くと一気にブームが巻き起こるために振れ幅が極端に大きくなって、政治が不安定化した。

一番最悪なのは、目先の選挙のことしか眼中になくて「おらが村」に予算を引っ張ってくる小粒な運び屋ばかりになってしまったことだ。天下国家や外交、大局的に日本の論点を語れる政治家がすっかり出てこなくなった。

小選挙区制を続ける限り、政治家に日本の将来を託すような政策立案及び議論は期待できない。小選挙区から出てきた政治家に、自ら選挙地盤を変えてしまう道州制のような統治機構改革ができるわけがない。ゼロベースの憲法論議や発議ができるとも思えない。「大前さんの政策提言はよくわかった。でも日本の政治でそれをどうやって実現するんですか?」

厳しい問い掛けだが、それに答えるなら一歩目は選挙制度の改正しかない。現状の小選挙区制では、日本の論点を政治が正しく抽出して、正しい方向で議論し、正しい決断を下すことはできないだろう。

年号が新しくなる。新しい年号で「維新」を唱える改革の旗手が登場することをまずは期待したい。