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1.長崎県と佐賀県の利害衝突から道州制を考える 冷泉彰彦

2018年7月31日 ニューズウィーク日本版)

<諫早干拓、長崎新幹線をめぐって長崎県と佐賀県は利害がぶつかっているが、道州制という枠組みで考えれば九州全体の利益を総合的に判断できるのでは>

 

長崎県諫早市と雲仙市にかけて建設された「国営諫早湾干拓事業」の開門問題をめぐって、730日に福岡高裁は開門の強制を許さないという判決を言い渡しました。これによって、最終的な判断は最高裁に持ち込まれることとなりました。この問題ですが、次のような対立構図があります。

 

<長崎県の営農者側>

 干拓によってできた調整池を農業用水として耕作。堤防の開門には強く反対。

 

<佐賀県(など)の漁業者側>

 堤防閉め切りにより漁業に支障。試験的開門を行い水産資源の回復がされるか検証を要求。

 

ということで、双方の主張は真っ向から対立しています。漁業への影響が本当にあるかまだ分かっていないのは事実なので、とにかく試験的に開門して調査すれば、真実が分かるだろうという考えがありますが、長崎県側はこれに強硬に反対しています。

 

それは事実が分かるのを恐れているのではありません。開門して海水が調整池という堤防の内側に流入すると、そこから農業用水をくみ上げているので、農業に大きなダメージが生じてしまうのです。

 

ちなみに、堤防建設前は「ため池」などを水源としており、豪雨災害の危険と隣り合わせという問題もあったそうです。ですから長崎県側としては、「いかに試験的な開門を阻止するか」が大きなテーマとなっており、その立場からすれば、今回の判決は一歩前進というわけです。

 

一方で、長崎県と佐賀県には別のトラブルもあります。九州新幹線(長崎ルート)の問題です。こちらはすでに着工しており、佐賀県の武雄温泉駅から長崎駅までは今、フル規格新幹線の工事がピークを迎えています。沿線では、どんどん高架橋が完成し、トンネルも貫通し始めており、この区間の開通は2022年度内に開業が決まっています。

 

問題は佐賀県内の武雄温泉から新鳥栖までで、こちらは狭軌の在来線のままであり、現時点では新幹線の計画はありません。このままですと、「リレー方式」つまり博多から佐賀経由で武雄温泉までは在来線特急に乗り、武雄温泉で新幹線に乗り換えて長崎に行くということが当分の間は続くことになります。

 

これを避けるために、新幹線の幅の広いレール幅(標準軌)と在来線(狭軌)を相互に乗り入れ可能な「フリーゲージトレイン(FGT)」の開発を国が進めてきたのですが、非常に難しい技術であり、車両も維持費も高額となることから、この長崎ルートでの採用は断念することになっています。

 

どうして佐賀県内のフル規格新幹線が着工できないのかというと、次のような対立があるからです。

 

<長崎県側>

 全線フル規格新幹線を整備してもらいたい。そうすれば博多だけでなく、新大阪にも直通できる。リレー方式では「博多=長崎」が2時間5分から1時間22分と40分短縮になるだけ。このままでは新幹線の通った熊本や鹿児島と比較して長崎の経済は衰退してしまう。

 

<佐賀県側>

 佐賀にはメリットはなく、デメリットばかり。何よりも特急から新幹線になると運賃が上がる。所要時間も35分が20分になるだけ。若者はみんなバスで行く。東京へは飛行機で行く。それなのに、フル規格新幹線の場合は地元負担を1000億円も拠出するというのは不可能。

 

こちらの問題も、堤防の開門問題同様にどちらにも一歩も譲れない理由があるというわけです。この問題については、FGTの開発が事実上断念された現在は、「リレー方式」「秋田新幹線のようなミニ新幹線方式」「全線フル規格」という3つの選択肢からの決断をしなくてはなりません。

 

実は、この7月に与党プロジェクトチームが、この問題についての会合を持っているのですが結論は出ず、先送りとなりました。国や長崎県が負担を増額して、佐賀の負担を軽減するというのが落とし所という見方が一部にはあります。

 

ですが、北陸新幹線の敦賀=小浜=京都=新大阪の延伸であるとか、四国新幹線構想などを考慮すると「新幹線の通過する距離に見合う地元負担」というルールに例外を作ることには、国としては強い懸念があり、決断ができずにいるのが現状です。与党としての判断のタイミングには、総裁選の行方も絡んでいるのかもしれません。

 

堤防の開門問題と、新幹線の地元負担問題、このような大きなトラブルが発生した背景には何があるのでしょうか? 別段、佐賀と長崎に歴史的な確執があるわけではありません。筆者は、新幹線の問題を中心に何度か両県を取材していますが、どちらの県庁も紳士的であり、お互いを気遣いつつ譲れない点は譲れないという中で、問題が解決できずにいるのです。

 

一つの問題提起として、仮に道州制が施行されて「九州全体の利益」から判断を下さざるを得なくなり、同時に九州全体の整備については道州に財源があるように制度設計を行えば、この種の問題について合理的な判断ができるのではないかと思っています。

 

新幹線の場合は、少なくとも全九州としてのメリットを追求するのであれば、全線フル規格にして、新大阪から長崎への直通新幹線を通す判断になるでしょう。また諫早湾の堤防問題について言えば、そもそもメリットを受ける営農者が合計で100世帯にも満たないプロジェクトに2500億円以上の堤防建設資金が投入されるという判断は、国ではなく道州に権限が委譲されていればもっとバランスの取れた結果になったのではないかと思われます。

 

道州制というと、維新の会などが主張する道府県庁のリストラという後ろ向きの話になりがちですが、広域的に財源をまとめ、広域的な最適解により行政を進める方向性として考え直すのであれば、あらためて議論のテーブルに乗せても良いのではないでしょうか。

(冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代)

 

 

2.熱冷めた道州制論の先 論説委員 山浦 修

2018年8月4日 西日本新聞/風向計)

 過日、政府の出先機関に転勤となり福岡市に赴任して来た経済官僚氏に、真顔で尋ねられた。「道州制って、九州では死語になってないの?」

 

 1995年の地方分権推進法、4年後の分権一括法、その2年後に始動した三位一体改革(国庫補助金・地方交付税の見直し、税財源移譲)。平成時代は、分権型社会への転換機運とともに歩み、時の変人宰相は「地方でできることは地方で」と叫んだ。

 

 「市町村大合併」と併せて受け皿機能の強化策に掲げられたのが、都道府県を再編する「道州制」。改革派を自任する知事は「県がなくなっても構わない」と見えを切り、多くの政党が公約に掲げた。そして今、導入の是非を巡る取り組みは「地方創生」の陰に隠れ、議論の先進地とされた九州でも熱は冷めた。「死語」とまではいかない、が。

 

 平成の大合併は、市町村を激減させる荒療治だったのに中央の喜ぶ行財政コスト削減が先行。「地域が良くなった」との声は乏しい。そんな地方の不満と通底する風景だ。

 

 取材現場で「暮らしに満足してますか」と問えば、多くは「満足」「まあ満足」との返答だ。多彩な食文化や近隣コミュニティーのぬくもりを訪ね回るテレビ番組の人気とも重なる。地域固有の環境や営みが磨いた多様な価値が、住み慣れた場への愛着=「ここで生きる」パワーを増幅させている格好だ。

 

 では「行政は?」と質問をつなぐと、「不満足」との回答が多数派となる。やや根拠に乏しい印象論にも思えるが、この満足度の落差は、人口減、少子高齢化、地方の過疎化と都市の過密化が同時に加速している現状と絡み合う。

 

 右肩上がりの成長に疲れた平成ニッポンは、閉塞(へいそく)の一因を中央集権と一極集中に見定め、打開策として分権自治に期待した。その手段が市町村合併と道州制だった。だが、結果的に「私たちは幸せになれるの?」という問いへの回答を示せないままだ。

 

 「権限を握る中央主導の『お任せ分権』は難儀だ」とはある首長経験者の述懐だ。そこで目を向けるべきは、暮らしを起点に近隣→市町村→広域行政→国の補完による自立の模索であり、地縁血縁の劣化を補う絆づくり、満足度の落差を埋める現場の知恵と汗だ。「自ら助くる者を助く」「継続は力なり」‐。分権運動主導者の一人、故平松守彦前大分県知事の口癖が新鮮に響く、平成最後の夏である。