最近の注目情報詳細2018年2月)

 

 

 

1.25日の衆参代表質問の主な発言

2018年1月26日 日本経済新聞)

▼衆院本会議

 

■下地幹郎氏(維新、比例九州)

 第2次安倍政権発足当初、安倍晋三首相から道州制導入への言及もあったが、最近は聞かなくなった。道州制や国の出先機関改革をどう進めていくのか。

 

■安倍晋三首相

【道州制】現在、与党で検討が行われている。政府としても連携して取り組んでいく。国と地方のあるべき姿、地方分権改革について建設的な議論を進めていく。

 

 

2.日本の統治機構は江戸時代のまま 最たるものが「都道府県」

2018年2月8日 NEWSポストセブン)

 この国の仕組みが制度疲労を起こしていることは、火を見るより明らかだろう。だが、なかなか抜本的改革は実現しない。経営コンサルタントの大前研一氏は、「今年が明治150年というなら、国を造り直す真の『維新』をやるべきだ」と指摘する。

* * *

 今年はNHK大河ドラマ『西郷どん』が放映されるなど、世の中は明治維新150周年記念が花盛りだ。安倍晋三首相も年頭所感や施政方針演説で「本年は、明治維新から150年の節目の年」「明治の先人たちに倣って……今こそ、新しい国創りの時です」と明治維新に倣う姿勢を盛んに強調している。だが、それを言うなら、文字通り「維新」=国を造り替える革命を実現すべきだ。

 平成が始まった30年前、私は「平成維新」と銘打ち、江戸時代から続く日本の中央集権の統治機構はゼロベースの改革で根本的に造り直さなければならないと主張した。同名の書籍は100万部以上も売れるベストセラーとなり、「新・薩長連合」を立ち上げて道州制の導入や統治機構改革などを提唱した。しかし、その具体的な問題解決策は、残念ながら未だに何一つとして実現していない。

 なぜゼロベースの改革が必要なのか? これは会社でも同じだが、既存のシステムを前提として少しずつ直すというやり方では、本質は変わらないからだ。その場しのぎの小手先の改革はすぐに陳腐化してしまうので、制度疲労した組織やシステムはゼロから造り直すべきなのである。つまり、日本が現在の低迷・停滞から脱するためには、150年前の明治維新と同じような「革命」を起こさなければならないのだ。

 この国の統治機構は基本的に江戸時代のままで過度な中央集権となっているし、それに上塗りしただけの明治時代の名残も山ほどある。

 その最たるものが「都道府県」だ。

 明治政府は中央集権を強化するために諸大名から天皇に領地(版図)と領民(戸籍)を返還する「版籍奉還」と、それまでの藩を廃止して地方統治を府と県に一元化する「廃藩置県」を行ない、その区割りが今も行政単位として存続している。

 しかし、現在の「都道府県」は、実はあまり意味がない。廃藩置県は、江戸時代の藩を合併したり分割したりして府県に置き換えただけであり、地方自治体と呼ばれている地方公共団体(都道府県と市区町村)は、江戸時代以来の中央集権の統治機構の下で、単に「国から業務を委託された出先機関」でしかないのである。

 しかも、都道府県と市区町村には定義がない。

 たとえば、山岡鉄舟の本を読むと、廃藩置県に伴い新政府に出仕して伊万里県権令(現在の佐賀県知事に相当)に任命された鉄舟は、命がけで鍋島藩の財産と権限を取り上げ、彼自身の判断と力ずくで新しい佐賀県を造っている。

 裏を返せば、都道府県は何らかの定義や法体系に基づいて形成されたものではないわけで、これは市区町村も同じである。憲法第8章に準拠した地方自治法にも「普通地方公共団体は、都道府県及び市町村とする」「特別地方公共団体は、特別区、地方公共団体の組合及び財産区とする」としか書かれていない。

 さらに日本には「政令指定都市」という、わけのわからない行政単位もある。「人口50万以上の市」で「都道府県と同じ権限を持つ」とされている。たとえば、神奈川県の場合は政令指定都市が横浜市、川崎市、相模原市の三つ、福岡県の場合は福岡市、北九州市の二つがあるため、県知事の役割や権限は極めて小さくなっている。ほかにも、「国家戦略特区」などの例外を設けて、政府が“上から”目こぼししたりしている。

 本来は、明治維新で廃藩置県を行なった時に府県や市町村の概念と役割をきちんと定義すべきだったのにそれをしなかった。その上、政府が次々に新たな制度を作るから、地方自治体は役割が不明確で中途半端な状態になってしまったのである。そして、そもそも自治体とは名ばかりで三権のいずれも持っていないために「自治」は全くできない。

 いま日本が低迷・停滞から抜け出せない最大の理由が、ここにある。

※週刊ポスト201821623日号